有田焼の発展を支えた朝鮮女性陶工・百婆仙
こんにちは!
この3連休は晴れ続きで気持ちがいいですね
まさに行楽の秋といった感じで、お出掛けになっている方も多いでしょうか?
さて、今日のブログはいつもとちょっと違い、有田の歴史にまつわるお話です
というのも現在、韓国で放送中の『火の女神チョンイ』というドラマがあります。
韓国で国民の妹として愛されているムン・グニョンさんや
日本でも人気のキム・ボムさんなどが出演しているので、
韓国ドラマファンの方ならその内容が気になるという方も多いのではないでしょうか?
実はこのドラマ、有田町と縁の深い人物を描いたドラマなのです(^^)/
その人物とは「百婆仙」。
日本語ではひゃくばせん、韓国語ではべクパソンと読みます。
百婆仙とは、桃山から江戸初期の肥前の陶工の一人で、
その中でも特にすぐれた技術を持っており陶工たちの指導者でもあった人物です。
豊臣秀吉が朝鮮を侵略した文禄・慶長の役によって、
夫とともに鍋島藩に連れてこられました。
もともとは武雄市内田村で作陶をしていましたが、
夫の死後、一族を率いて、有田町稗古場へと移住しました。
というのも、武雄地方でとれる土は朝鮮時代に扱っていた土と土質が違ったらしく、
より良質な土を求めて有田へやってきたといわれています。
有田焼の原料となっている陶石は1616年に朝鮮人陶工・李参平(りさんぺい)によって発見されたのですが、
百婆仙も自己の作陶にはその陶石が必要だと考えたのでしょう。
こうして百婆仙は有田で製陶に従事し続け、96歳でその生涯に幕を閉じました。
なお、百婆仙というのは本名ではなく、
容貌が温和で長寿を保ったことから、子孫が彼女を敬愛して呼んだ名前だそうです(本名は不明)。
そして、1705年に有田町稗古場にある報恩寺の境内に彼女を称えた石碑が建てられました。

現在も有田では百婆仙を「有田陶業の祖」として称えています。
有田焼の誕生とその後の発展があったのは朝鮮陶工の貢献があったからこそです。
ちなみに、先に述べました李参平により陶石が発見された場所は、
「泉山磁石場」といって有田の観光名所の一つになっています。

現在では採掘はほとんど行われていませんが、掘り続けられた山の姿は奇観で、
有田にお越しの際には是非一度ご覧になっていただきたいスポットです(^^)b
普段は上から眺めるだけで中へは立ち入れないのですが、
11月に開催される「秋の有田陶磁器まつり」の期間中に限り、開放されることになっています!
というのも、実はこの場所、秋になるととても美しい紅葉が見られるのです!!

昨年初めて公開され、その美しい景色が大好評でした
今年も公開されますので、是非たくさんの方にお越しいただきたいです!\(>∀<)ノ
今年の「第9回秋の有田陶磁器まつり」については、現在特設ページを作成中です。
もう少しお時間いただきましたら、その詳細をご紹介しますので、どうぞお楽しみに!
と話がそれましたが、『火の女神チョンイ』、是非いつか日本でも放送されることになって、
百婆仙という有田を支えた朝鮮女性陶工のことを多くの方に知っていただけたらと思っています(*^^*)
参考文献
・佐賀県大百科事典 佐賀新聞社
・角川日本陶磁大辞典 普及版 角川学芸出版
この3連休は晴れ続きで気持ちがいいですね

まさに行楽の秋といった感じで、お出掛けになっている方も多いでしょうか?
さて、今日のブログはいつもとちょっと違い、有田の歴史にまつわるお話です

というのも現在、韓国で放送中の『火の女神チョンイ』というドラマがあります。
韓国で国民の妹として愛されているムン・グニョンさんや
日本でも人気のキム・ボムさんなどが出演しているので、
韓国ドラマファンの方ならその内容が気になるという方も多いのではないでしょうか?
実はこのドラマ、有田町と縁の深い人物を描いたドラマなのです(^^)/

その人物とは「百婆仙」。
日本語ではひゃくばせん、韓国語ではべクパソンと読みます。
百婆仙とは、桃山から江戸初期の肥前の陶工の一人で、
その中でも特にすぐれた技術を持っており陶工たちの指導者でもあった人物です。
豊臣秀吉が朝鮮を侵略した文禄・慶長の役によって、
夫とともに鍋島藩に連れてこられました。
もともとは武雄市内田村で作陶をしていましたが、
夫の死後、一族を率いて、有田町稗古場へと移住しました。
というのも、武雄地方でとれる土は朝鮮時代に扱っていた土と土質が違ったらしく、
より良質な土を求めて有田へやってきたといわれています。
有田焼の原料となっている陶石は1616年に朝鮮人陶工・李参平(りさんぺい)によって発見されたのですが、
百婆仙も自己の作陶にはその陶石が必要だと考えたのでしょう。
こうして百婆仙は有田で製陶に従事し続け、96歳でその生涯に幕を閉じました。
なお、百婆仙というのは本名ではなく、
容貌が温和で長寿を保ったことから、子孫が彼女を敬愛して呼んだ名前だそうです(本名は不明)。
そして、1705年に有田町稗古場にある報恩寺の境内に彼女を称えた石碑が建てられました。

現在も有田では百婆仙を「有田陶業の祖」として称えています。
有田焼の誕生とその後の発展があったのは朝鮮陶工の貢献があったからこそです。
ちなみに、先に述べました李参平により陶石が発見された場所は、
「泉山磁石場」といって有田の観光名所の一つになっています。
現在では採掘はほとんど行われていませんが、掘り続けられた山の姿は奇観で、
有田にお越しの際には是非一度ご覧になっていただきたいスポットです(^^)b
普段は上から眺めるだけで中へは立ち入れないのですが、
11月に開催される「秋の有田陶磁器まつり」の期間中に限り、開放されることになっています!
というのも、実はこの場所、秋になるととても美しい紅葉が見られるのです!!


昨年初めて公開され、その美しい景色が大好評でした

今年も公開されますので、是非たくさんの方にお越しいただきたいです!\(>∀<)ノ

今年の「第9回秋の有田陶磁器まつり」については、現在特設ページを作成中です。
もう少しお時間いただきましたら、その詳細をご紹介しますので、どうぞお楽しみに!
と話がそれましたが、『火の女神チョンイ』、是非いつか日本でも放送されることになって、
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参考文献
・佐賀県大百科事典 佐賀新聞社
・角川日本陶磁大辞典 普及版 角川学芸出版
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この記事へのコメント
韓国で百婆仙がドラマ化されているとは知りませんでした。日本では村田さんの「龍秘御天歌」がミュージカルになったそうですが、続編「百年佳約」も含め、映像化されないかと思っています。
Posted by pine at 2014年01月27日 11:10