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準備の裏側

【観光ガイド研修講座2022】有田陶磁美術館・有田町歴史民俗資料館

2022年07月28日

有田観光協会 at 16:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。

今年も有田観光協会所属の観光ガイドの研修講座が始まりました。
その様子をレポートします。


この日はベテランガイドをはじめ、新規に登録されたガイド、有田観光協会スタッフを合わせて総勢21名が集まりました。
今年は9名もの新規のガイド登録があり、より賑やかになりました。

今回のガイド研修先は「有田陶磁美術館」と「有田町歴史民俗資料館」です。

有田陶磁美術館は普段は有田観光協会のすぐそばにある身近な美術館です。
明治時代に平林伊平氏が建てられた蔵を美術館にしている、建物そのものが歴史的建造物です。
建てられた当時は町民からは奇抜な建物だと言われていたそうです。
(平林伊平氏はその後有田町の初代町長にもなった方です、先見の目があったんでしょうね!)


この美術館には窯元やそれぞれの豪商が手掛けた製品を展示し、有田の明治時代から昭和初期の焼き物を紹介しています。中には江戸時代に輸出されていた製品の対比として置かれているものもあります。

案内をしていただいたのは有田町文化財課の学芸員の永井さんです。
有田の歴史の魅力とその面白さをたっぷり語っていただきました。
ガイドの皆さんもしっかりメモを取っていらっしゃいます。


ここには、江戸時代の有田焼を作る職人の様子と製造工程が描かれた
佐賀県重要文化財指定の「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」が収蔵されています。

有田町内の看板などにも使われているので、一度はみたことがある方も多いのでは?
作業をする生き生きとした職人や、ところどころに描かれている犬や猫、馬などの動物がいて生活の様子が伺えます。

ちなみにこの大皿、世界で3点(有田町の他にイギリスとオランダ)しか確認されていないそうです(模造品は多々あるそうですが)。
それぞれ窓絵(周りの窓のように区切られた部分)の場所がそれぞれ違っていたり、柱の位置や、左上の絵付職人の部屋を覗いている男の子がいなかったりするそうです。

有田町歴史民俗資料館 東館には、「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」の人物たちが動き出すアニメーションを使った解説ビデオもありますので是非コチラも見て頂きたいです。


そしてその隣には、江戸時代に作られたという、赤絵の狛犬。こんな大物を作り上げたなんてすごいですよね。
昔は弁財天神社にあったものだそうですが、盗難に遭い、紆余曲折を経て、戻ってきたものだそうです。
片割れは行方不明のままだとか。この狛犬にも様々な伝説があります。


二階には、宮中へ納められたものと同じ製品や、
鹿鳴館などで使われたという西洋食器のセットなどが展示されています。


中には、漆塗り風にした製品など、面白い作品もありました。


収蔵数は佐賀県立九州陶磁文化館が最も多いのですが、
有田陶磁美術館では明治時代の窯元や商社がどんなものを作っていたのかが一目で分かるようになっています。
是非、お立ち寄りの際はじっくりとご覧ください。



お次は有田町歴史民俗資料館 東館です。

普通の歴史民族資料館とは違うところは、ほぼ、やきもの産業に関するものしか展示されていないということです!
入口には発掘された貝塚のように埋められた、やきものの地層があったり、奥の部屋のど真ん中には登り窯のジオラマが展示されています。


そしてここには先ほどの有田陶磁美術館にもあった、「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」の平成版があります!
これは有田焼創業400年である2016年に作られました。
昔ながらのろくろ成型や手描きで作られている伝統工芸の職人尽くし絵図と
ローラーマシンや鋳込み成型、転写など、大量生産向けにオートメーション化した職人尽くし絵図です。

この2作品も将来的にこの時はこうして作っていたのか!となる日が来るかもしれませんね。


泉山磁石場の発見によって、豊富な原材料が手に入り、町民がやきもの産業だけで食べていけるようになった、産業としての発展に繋がったことが何よりの大発見だという事を熱く語ってくださる永井さんの話に、皆さん熱心に聞き入っていました。

内山地区の地形が谷間になっていて登り窯が作りやすかった点や、豊富な水資源があること、燃料になる松の木が周りにあったことなど、あらゆる条件が揃ったことにより、有田焼の産業が確立されました。


隣接する有田焼参考館には、発掘調査によって発見されたやきもののかけらなどが展示されています。
最初は中国の模倣から始まり、年代を経て技術力が向上し、文様や形がより洗練されて、独自の進化を遂げていく様子がよく分かる展示となっています。


中でも永井さんが話されていた
「柿右衛門様式が海外であまり模倣されなかった理由のひとつとして考えられるのが、「余白の美」は上手い人が描くことで完成されているけれど、下手な人が描くとただの手抜きにしか見えない」
…という考察話も面白かったです。
確かに…あの絶妙な余白の美のバランスは難しいです…。


発掘調査によって分かった近年の話も交えて、今までの観光案内をする際の定説が実はそうではなかったかもしれない…という話など、短時間ではなかなか語り尽くせない盛りだくさんの内容でした。

歴史については今も諸説あるものも多く、説明が難しいこともありますが、お客様をご案内する際のガイドの知識も日々アップデートが必要ですね。

有田町の歴史や文化の魅力と面白さはなかなか1日では語りつくせないのですが、
ご案内をする際にお客様を引き付ける、熱いトークで語れるようになりたいです。

今後もガイド研修講座の様子を定期的にお届けしたいと思います!お楽しみに!!

有田まちなか観光ガイドのご用命は、コチラのページをご覧ください。
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【ガイド研修講座】第11回 レトロン号ツアー研修

2021年09月03日

有田観光協会 at 17:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子を本日もレポートします。


今回11回目のガイド研修はレトロン号ツアー研修!
実際に列車に乗りながら、実際のツアーと同じスケジュールと内容で伊万里まで向かう研修です。
今日はベテランガイドの岩崎さんと山口さんからのレクチャーを受けます!

レトロン号とは?シックなカラーリングとオシャレなレトロ風の内装の車両で、かつて通学時に乗れるとラッキー!な車両として認識していましたが、普段は定期運行のほか、ビール列車などの貸切ツアーにも使われる車両だそうです。

「レトロン号ツアー」とは、やきものの町として共に歴史を刻んできた有田町と伊万里市をつなぎ、さらに海岸線を西へ、松浦市まで走る往復約70kmのツアーです。列車に揺られながら有田と伊万里のご案内を観光ガイドが行います。また、車内では地元の食材を使った「有田焼五膳」のお弁当や伊万里の果物を使ったスイーツなどのグルメも堪能できるツアーです。



最初に駅前のキルン観光案内所に集合。
今回は実際のガイド時と同じように離れていても声が届く、イヤホンマイクを使います。
最初に電源の入れ方や装着の仕方をご案内します。

レトロン号ツアーでは今までのガイド案内にないものが2つ。
1つは普段のガイドでは基本的に内山地区の案内が多いのですが、有田駅前周辺をご案内するという事。

2つめは実際にかなり揺れる列車の中で立って車窓から見える景色の解説すること。割と一瞬しか見えないものなどもありタイミングが命。
また、お弁当の配布や、地元のお酒の販売なども一緒に行います。



それぞれイヤホンマイクを装着して、まずはキルンアリタ観光案内所前から有田駅の解説。
キルンアリタ観光案内所の建物は斜めになっている赤いコンテナは登り窯をイメージしている。というのは知っていたのですが
学生時代から慣れ親しんだ有田駅は、実は石炭窯をイメージした形、というのは解説されるまで知りませんでした。(ずっと皿だと思ってました…)


まずは駅前周辺を散策。元中華料理店の隣の細い小路へどんどん進む山口さん。
あーこれは学生時代の通学路だなぁ…懐かしいなー。と思いながら歩いていると、突然何の変哲もなさそうな十字路で止まる山口さん。


「ここが、伊能忠敬測量隊の分隊の通った道で、今通ってきた道が伊万里から来た道、ここから右手に進むと波佐見に進む道、そのまままっすぐ進むと武雄に行く道で、ここが通過点だったんです」

な、なんと。かつて通学路に使っていた道がそんな由緒ある道だったとは…!!
いや、道にもいろんな歴史やドラマがあるはずなんですが、単なる駅からの近道としてしか使っていたなかったので、そんなエピソードがあったとは…。(山口さんが以前書かれていた伊能ウォークのブログ記事はコチラ)


かつて、この十字路には目印になる石碑があったそうですが、石碑があったのが私有地だったため、いつの間にか撤去されてしまったとか。
石碑があったころの写真をガイドの馬場さんに見せていただきました。
内山で作られたやきものが伊万里へ運ばれて行っていたんですね。当時は人力でやきものを運んでいて、高価なものほど、大八車は使わずに、背負って運んでいたそうです。なんとなく歩いていた通学路だったこの道を江戸時代には有田焼を運ぶ人がここを通っていったのかぁ…と当時をちょっと想像してしましました。


続いては有田焼の商店、古田商店へ。

入口のでっかいオブジェになっているのは大皿を作る時のサヤ(匣鉢)。窯入れする際に中にやきものを入れて積み上げて焼くための窯道具です。持ち上げるのも大変そうなサイズです。
「ボシ」とベテランガイドさんが呼んでらっしゃいました、地方でそれぞれ呼び方が違うんだそうです。私は「サヤ」で覚えていましたが有田ではボシとも呼ぶらしいです。


入口から見える豪華な美術品としての有田焼たち。燭台が付いた壺などもありました。ここだけ見ると美術館みたいです。
使い勝手の良いうつわ、手描きにこだわった染付や壁に飾られた大皿の大胆な展示方法も、見ものです。



また駅に戻る途中の道のりでも有田特有の敷地に生えているトクサ(サンドペーパーの代わりに使っていた)についてや、
かつての旅館の面影の残る家屋があったりと、よく歩いていた風景でも解説される事で初めて気づくものも沢山ありました。
なんでもないような道端のちょっとしたものでもよく調べられていてベテランガイドさんの勉強熱心さに脱帽です。

では早速、列車に乗り込みます。ここからは、解説はガイドの岩崎さんにバトンタッチ。
この日は残念ながらノーマル車両で一般のお客様もいらっしゃるので、車内でもイヤホンマイクでご案内してもらいます。
早速乗り込み有田を出発!



松浦鉄道は駅と駅の間隔がかなり短いので次々と地名にまつわる話や窓から見える景色について解説をされていきます。

有田駅の次の駅、三代橋(みだいばし)駅では元々の地名が「有田郷乱橋(みだればし)」と呼ばれており、明治30年頃に縁起の良い「三代」という字になったそうです。
そういえば、第1回のガイド研修の有田町歴史民俗資料館で見た古い地図に「乱橋」と書かれていたのを思い出しました。
泉山磁石場で大量の陶石が発見されるまではこのあたりで農業をしながらやきものを作っていた地で、当時は磁器一本ではなく、陶器も一緒に作っていました。

車窓から焱の博記念堂(歴史と文化の森公園)が見える所では、世界炎の博覧会の解説があり、当時を懐かしく思い出される方もいらっしゃるかもしれません。
87日間の会期中、この小さな町に約255万人が来場していたというのも凄い話です。



普段は伊万里までなら車で行ってしまうので、松浦鉄道で伊万里まで行くのは学生時代以来?で新鮮でした。
車窓から見える青空と田んぼの緑のコントラストがとっても映えます。こんなに綺麗な景色だったのか、と改めて思わされます。
たまには列車で移動するのも良いですね。

停車時間もかなり短いので蔵宿(ぞうしゅく)~山谷(やまだに)駅間も次々に説明されていきます、坂の下遺跡、縄文樫…有田の西地区は窯業よりも農業が盛んな地区で、国見山の山並みと風景に畑や田んぼの風景が広がります。
上有田駅からの車窓から窯元の煙突が見えるJRの路線とはまた違った雰囲気を味わえます。


大木駅付近で見える、江戸時代に泉山に代官所が移動する前の有田の代官所があったあたりだそうですが、どのあたりなのか、ほんの一瞬すぎて見落としてしまいそうです。次々と景色を解説するにはタイミングが命。

後ほどガイドの山口さんに場所を教えて頂いたのですがこちらの代官所跡は今は史跡を示す標柱だけがあるそうです。
(写真提供:ガイドの山口さん)


山城の唐船城跡は、山の形も特徴的なので車窓からもはっきりと見えました。
有田の西地区には東地区にはない魅力がまだまだあります。是非今後も紹介していきたいですね。


そうこうしているうちに、伊万里市に列車は入って、あっという間に伊万里駅に到着。


伊万里駅のホームの足元にはよく見ると細かく砕かれたやきものの破片、べんじゃらが。ところどころに染付の濃いブルーや、模様の入ったものなどを見つける事ができます。ワンポイントのようになっていて綺麗です。
伊万里駅に寄った際は、是非ホームの足元にも注目してみてください。


次の列車で有田に折り返します。待ち時間の間に観光案内所にある物販コーナーなどを見学。
こちらにも素敵なうつわが沢山。カジュアルなものから伝統的な文様のものまで、有田で見た事がないものも、並んでいて、やはり伊万里もやきものの町だということを実感します。


伊万里からの帰りの列車では、今度はガイドの岩崎さんが有田相撲甚句の会の法被で拍子木をもって登場。
有田では明治時代から続く石場神社への奉納相撲
が毎年行われています(今年は中止との事)
そこで披露される有田の「相撲甚句」を唄ってもらいました。
尚、拍子木は本来別の方がされるそうですが、今回はセルフです。
相撲甚句は全国同じ節回しで、各地でそれぞれ違うそうで、ちなみに有田は二種類あるそうで、今回は有田相撲甚句の会のバージョンです。その土地土地の自慢の詩が入っており、割と最近の出来事なんかも入っています。独自の音程が心地よい、素晴らしい歌声でした!



動く列車の中で説明はなかなか大変そうです。割と急カーブが多いのでかなり踏ん張らないといけなかったり、足腰が鍛えられそうです…



有田駅へ到着。あっという間の20分でした。

有田駅前散策から列車の旅まで実際のツアースケジュールを体験しましたが、総集編!というのが相応しいくらいの濃さの内容でした。
ツアーには有田焼五膳のお弁当やスイーツも出てきますのでお腹も満足する内容となっています。

学生時代に毎日通っていた駅前の歴史やエピソードもほとんど知らないままいたのがもったいないなぁと改めてガイド研修に参加して思いました。

日々、ガイドさんたちは自主勉強会など、ガイド内容についても新しく開拓したりと本当に勉強熱心です。
少しでも追いつけるように、見習っていきたいです。足腰も鍛えねば…!
6月末から始まったガイド研修2021も11回目の今回で最後。もう…情報量がすごすぎて頭パンパンです!
実際に見て、聞いて欲しい内容が沢山!有田に来られる際は是非、有田観光まちなかガイドをお申込みください。→有田観光まちなかガイド

また、実際の「レトロン号ツアー」はもう間もなく募集が始まりますので、ご興味のある方は是非観光協会HP「ありたさんぽ」新着情報をチェックしてくださいね!




















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【ガイド研修講座第10回】佐賀県窯業技術センター

2021年09月01日

有田観光協会 at 17:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子を本日もレポートします。


この日のガイド研修は、「佐賀県窯業技術センター」。
日本全国でも窯業を担う公設試験研究機関は全国に12ヶ所、そのうち窯業単独での機関は佐賀、長崎、岐阜の3ヶ所のみだとか。
以前は「佐賀県窯業試験場」の名称で、平成4年に改称されました。
ガイドさんの中には「窯業試験場」の方が馴染みがあると言っている方も。やきものに関わる方には身近な機関なんですね。



洗練されたデザインの建物内。各お部屋の名前のパネル、ドアの取っ手がやきもので出来ているのは有田らしいです。
佐賀県窯業技術センターに入るのは初めて!という方も多い中、私も初めて入る建物なのに、妙に内部構造にデジャヴを感じていたのですが、私の母校である有田工業高校と設計した会社が同じだという事を後で知りました。どおりで…中庭のあたりの構造に見覚えが…
ちなみに他のガイドさんいわく、佐賀大学有田キャンパスも雰囲気が似ているそうです。


今回は座学!解説していただいたのは副所長の古田さん。
窯業技術センターの歴史からはじまり、機関での研究開発についてや、技術支援、人材育成など、
窯業技術センターとは、どんなことをしているのか。を詳しく教えて頂きました。


特に年2回募集のある、窯業人材育成については伝統的技術の継承や、後継者の育成、
「有田でやきものについて勉強したい!」という人に向けての研修制度は、全く窯業についても知らない人でも入れる基礎コースから、ろくろ、絵付け、製造技術コースがあり、既に窯業関係に在職している人や「有田に本格的に学びたい!
!」「さらに技術を高めたい」といった人に向けたものなど、様々なメニューが用意されています。
基礎コースから始めた方でもほとんどの方が2期~3期ほど続けて別のコースを更に学ばれていくそうです。
機会があれば基礎コースを学んでみたいな…と思わずカリキュラムを見てしまうほどの充実した内容です。

また、企業の製造現場でも「どうしてここで割れてしまうの?」「ここにこんな黒点ができてしまうのは何故?」などといった、技術相談や商品化のための技術開発についての相談受付、指導などのサポートも行っているそうです。技術者サポートのために直接企業に出向くこともあるとか。

また、強化磁器の強度を計る衝撃試験や曲げ強度試験など、製品の強度を調べるテストや釉薬の成分試験など、化学実験のような試験なども行われています。


説明の中で共同開発された製品も沢山出て来て、あっ、これはブログ「ARITAJIN」で紹介した窯元の製品だ!これも見た事ある!というように有田中の色々な技術がここに集結していました。(写真は陶楽のチェス駒。ブログ記事はコチラ)

座学の跡は隣の展示室へ。
伝統的な作品から、最新技術を駆使した製品まで研究・開発した製品が分かりやすく展示されています。


こちらの新しい光彩上絵の具はラメ感が強いのに上品なきらめきを表現できる上絵の具です。

以前、「ARITAJIN」でご紹介した「ギャラリー器楽」(エクセル秀島)の商品で銀河を表現していた絵の具もここで共同開発していたそうです。
隣には、「大串翠紅堂」の絵の具の製品見本も!(大串翠紅堂のARITAJIN記事はコチラ)


また、無鉛、有鉛絵の具も様々な色合いの研究をされており、なんとデザイン系の人には切っても切れないソフト、Adobeのillustratorで使えるスウォッチ(カラーパレット)に対応した無鉛絵の具のカラーサンプルをはじめ、
有田焼の呉須や上絵の具のサンプル、焼成した時の収縮サンプルなど、外部の人にデザインを依頼する際に一目で有田焼の特長がわかるように作られたツールで、情報共有がスムーズにいくように工夫されています。


この有田焼コミュニケーションツール、箱もシンプルなのにオシャレな形で箱だけでも素敵ですね…。と女性のガイドさんにも人気でした。


また「世界最強」の強度を持つ素材は従来品の5倍の硬さを持つそうで、展示室には有田の強化磁器といえば…
「匠」のQ-SHOCK、シリーズも展示されていました。


こちらはしん窯と共同開発されたセイコーの腕時計の文字盤。実物を見るのは初めてでしたがとにかく薄い!


こちらは多孔質(たくさん小さな穴があいている)高密度磁器の製品たち。
お菓子のように見えるものはアロマオイルを吸収させていい香りをお部屋に広げるインテリア、ポーセリンデュフェーザー。
また、以前こちらも「ARITAJIN」でご紹介したTHREE RIVERS(スリーリバーズ)の調味料を湿気させにくい計量スプーンなど。
これもやきものなの!?というものまで。現代の生活に合わせていろんなものに利用されています。


この雛人形のお顔は…どこかで見覚えが…?
そうです。「有田雛(ひいな)のやきものまつり」でアリタセラに展示されているしん窯のお雛様と同じ型のお雛様。
造形はここ佐賀県窯業技術センターのOBの方が作られたそうです、小物類の原型も同じくここで生まれたんだとか。


こちらは先日ガイド研修で行った香蘭社の碍子(ガイシ)やファインセラミックスの見本。物凄く小さな部品から、この前の研修では見かけなかった大きな碍子もありました。


有田焼の工程の基礎から、工業製品の開発の工程や、最新技術によって作られた製品まで様々な展示もたっぷり。
あちこちに「これ、この前見た事が…」と、今までの研修でみてきた製品についても更に学びが深まりました。

一般の方向け、というより、かなり工業的な内容も多かったものの、有田の歴史に加え、これからの有田焼はどんなものになるのか、最新技術についての知識は「ガイドで移動中の話題にも使えそう。」と早速活かせるかも、と話しているガイドさんもいらっしゃいました。

テンションも上げていくのも大切ですが、まだまだ「人にわかるようにしっかり伝える」基本中の基本から練習ですが、ベテランガイドさんのそういったアイディアも大変勉強になります。なんでも次につなげていくのが大事ですね。

次回の「レトロン号ツアー研修」で今年のガイド研修は最後となります!
MRこと松浦鉄道の列車を使ったツアーです。え!?列車に乗って実際に研修?

…というわけで次回2021年ガイド研修講座最終回。「レトロン号ツアー研修」。お楽しみに!







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【ガイド研修講座第9回】アリタポーセリンラボ工場

2021年08月30日

有田観光協会 at 14:30  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子を本日もレポートします。


第9回のガイド研修の2ヶ所目はアリタポーセリンラボの工場。
『アリタポーセリンラボ』は、創業1804年の窯元「弥左ェ門窯」のモダンブランドです。古伊万里調の製品を数多く作られており、更に有田焼の伝統技法を現代のライフスタイルに合わせたモダンデザインの製品を手掛けられています。


今日は松本社長に工場をご案内していただきました。


工場の中は明るい印象。入ってすぐの型置き場には石膏型が積み上げられていて奥まで続いています。壺や花瓶などの大きな物が得意な窯という事もあり、大きな壺型の石膏型が沢山並んでいます。もちろん、大型の美術品だけでなく、箸置のような小さなものまであらゆるサイズのもを作られていて、ここには3000種類ほどの型があるそうです。人と並ぶとどれくらいの大きさ分かりやすいですね。


足元にはぐるぐる何か回っているものが。大量の泥漿が固まらないように撹拌する機械だそうです。


型に陶土をセットしてコテを当てながら成形する、機械ろくろもありました、こちらは幸楽窯で見たものよりもコテ部分が大きめなものがついています。丸いものしか作れないとのことですがかなり大きなものも作れるんですね。


鋳込みの石膏型から外している作業を見せていただきました、複数のパーツが組み合わさっている石膏型にエアーを吹き付けると型からポコッと外れて複雑な形のマグカップが出てきました。どんどん並べられていく様はずっと見ていられますね…。


乾燥させたうつわのバリ(はみ出したところ)などをなめらかにする表面の仕上げ作業をされています。ひとつひとつ丁寧に仕上げられていきます。


素焼きされたうつわが見上げるほど上まで並んでいます。カップや湯飲み、お茶碗、蓋ものまであらゆる種類が並んでいます。小さいものから大きなものまでいろんな種類のものを作られているのが分かりますね。


カラカラと音を立ててぐるぐる回っている謎のマシーンを発見!結構なスピードで回っています。ナンダコレ!?
これは釉薬を調合するミルだそうで、中に細かいボールのようなものが複数はいっていて、それが中で回って原料を粉砕しながら細かくしていくんだそうです。今回のこの研修の中で凄く印象に残ったマシーンです!


職人さんが下絵付けをされているお部屋です、判や筆で細かい模様を等間隔で描いたり、器を回しながら表面に大きな筆で釉薬を塗っていらっしゃいました。あえてマットな質感に仕上げるために筆で釉薬を付けている独自の技法のひとつなんだそうです。


大物が得意な窯元、と最初に紹介しましたが、こちらは立派な傘立て。綺麗なコスモスの花が描かれています。仕上がるとどんな鮮やかさになるんでしょうか?


こちらがガス窯の本窯。釉掛けをしたものを焼成します。


一般のお客様も工場見学が可能です。その為、いたるところに解説の看板があり、以前のガイド研修で覚えた窯業用語の復習にもなります。分かりやすい!


上絵や転写の作業をするお部屋です。机の上には特殊な絵の具などの瓶も並んでいました、筆の数も凄いですね。
また、上絵窯は上蓋を開けるよく見るタイプではなく横に大きく奥行きが浅い、初めて見るタイプでした。窯元によって雰囲気もさることながら、様々な窯のバリエーションがあり、新しい発見がありますね。


最後は、検品、出荷を行うお部屋です。大小様々なサイズの箱が所せましと並んでいます。
中に入れるうつわもオシャレですが黒いマットな質感の箱に、銀色の箔押しのロゴが入った箱のデザインはパッケージだけでもモダンな印象です。


ギャラリーコーナーでは購入も可能だそうで、古伊万里調のものから、伝統的な絵柄にモダンなデザインを取り入れたもの、色合いはシンプルでも、違う質感を組み合わせたデザインのものなど、和モダン、という言葉がぴったりな製品も。


中には家紋をモチーフにした豆皿や、歴史の教科書に載っているような「火焔型土器」を磁器で再現されたオブジェなど、興味を惹かれるものが沢山ありました。この磁器製の土器オブジェは是非見て頂きたいですね。

今回の第9回のガイド研修は工場の研修でしたが、窯元によってオートメーション化されている工場でも雰囲気が全く違う点など、見所がとにかく沢山、有田焼が今、どんな風に作られているのかを実際に見ることができるのが工場見学の醍醐味ですね。
ガイドさんの中にはやきもの屋さんの方もいらっしゃるので、有田ならではの裏話が出たり、製造についての補足をしていただいたりと、今回も大変勉強になりました。お客様をご案内する際はワクワクドキドキしてもらえるような紹介をしたいと思います。

次回の研修は「佐賀県窯業技術センター」。窯業単独での公設研究機関は全国に3つしかない!という貴重な施設です。
窯業技術の最先端の研究施設!有田焼の今に迫ります!(自らハードルを上げていくタイプ)















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【ガイド研修講座第9回】幸楽窯・後半編

2021年08月29日

有田観光協会 at 10:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子をレポートします。


今回は「幸楽窯」の工場のガイド研修後半編です。
3879㎡ある工場内を幸楽窯の徳永社長にアドベンチャーマップを使いながらご案内していただきました。
(幸楽窯前半編の記事はコチラ)


こちらは乾燥が終わったうつわを焼成する素焼き窯。900℃で24時間焼きます。商品の中には二回素焼きをするものもあるとか。


スプーンなど特に細いものは簡単に折れてしまうそう、実際に小皿を「ちょっと折ってみて!」と徳永社長に手渡されましたが和菓子の落雁かな?というくらい簡単にパキっと割れてしまいました。幸楽窯の工場見学の際は素焼き前のお皿を手で割るなかなかできない体験もさせているそうです。


下絵付けの作業場の一角では直火の当たる製品の底の部分に溶かした蝋を筆で塗り、釉薬をはじくようにする作業をされていました。とにかくそのスピード感は見ていて気持ちがいいです。


こちらは釉薬(うわぐすり)をかけて光沢や味わいを出したりする釉掛け(ゆかけ)の作業をする所です、幸楽窯ではひとつひとつ手作業でかけていきますが、今はオートメーション化し1度に5個同時に釉掛けができるマシーンを持つ窯元もあるそうです。それもいつか見てみたいですね。


本窯の前では職人さんが窯に入れるうつわを並べていました。これも高さや重さなどをうまく配置するのも職人の腕前。カップやお皿などが整然と並んでいます。


奥に見えるのはかつて肥前地区最初の量産型工場として250人体制で三交代で大量生産をしていた頃に使っていた、とーっても長い、ガス式のトンネル窯です。
左奥側から入って右側手前が出口。48時間で1300℃で焼成し、火を絶やさないため、入れる製品が少ない時でも空台車でどんどん回していたそうです。


今は業務用食器などその都度焚けるガス式の単窯に転換されています、ピーク時は4つの窯を2台ずつ交互に毎日使っていたそうですが、今は2番目と3番目の窯を交互に週2回に分けて1窯ずつ使っているそうです。


上絵付や転写をしている職人さんのお部屋では転写の作業をされていました、転写とはシート状になった上絵付の部分で、水につけてふやかせてシートから浮かせ、のり面をはがし、パーツごとに配置していきます。曲面にそってパーツが細かく分けられていて、見本として見せて貰ったものでは8つほどパーツが分かれていました。緻密な作業が要求される根気のいる作業です。

転写といっても幸楽窯では赤絵窯で何度も焼き重ねる手法のものもあり、素焼きから数えると最大5回焼成したという製品がコチラ、

金と黒がカッコイイ、豪華なポットです。

広い工場内でやきものを作っていくための工程をマップに沿って実際に回り細かく解説していただき、たっぷりじっくり有田焼を作る工程を体感できました。
ローラーマシンや機械ろくろなど、なかなか見る機会がないものも見学することができ、オートメーション化が進んでいますが、それでも昔ながらの手作業の部分が残っているのも有田焼を作る工程で大事なところです。


幸楽窯は火鉢から家庭用食器、軍用食器、業務用食器…と時代と共に作るもを変えています、最近ではアーティストを受け入れ、制作に専念できる場を提供する「アーティスト・イン・レジデンス」を行っており、工場内でもアーティストの作品の数々を垣間見る事ができました。
有田焼を使った新しいモノ作りでより世界に有田焼を発信する場としても、アーティストと有田の窯元との繋がりを作るきっかけの場としても一役買っているそうです。
人と人との繋がりを大切にし、様々なモノ作りに繋げる、まさに有田らしい窯元です。


またSDGs(持続可能な開発目標)にも積極的に取り組まれており、そのうちのひとつが大量生産されていた時代に作られ、倉庫の奥に眠っていた陶磁器たちに再びスポットを当てた「トレジャーハンティング」。観光のお客様向けに倉庫を開放し、「宝探し」のようにお客様自身がセルフでカゴに詰めて購入する、というとても有田らしいアクティビティです。ご家族で楽しめるスポットとしてもご案内したいですね。
今後は「アドベンチャーマップ」を使った企画を考えられているそうで、「お土産箸置きガチャ」なども考えられているそうです。完成するのが楽しみですね。

幸楽窯では名前は知っていても実際に見た事がなかったオートメーション化した機械の様子や旧式のトンネル窯、実際の作業も直接見て感じる事ができました。工場内はWi-Fi完備で工場内の写真撮影や動画撮影もどんどんやって広めて下さい!という徳永社長。工場見学の動画配信などもオススメです。


次回は「アリタポーセリンラボ工場」の研修の様子をご紹介します。
ひとえにやきものの工場といっても窯元によって全く雰囲気が違う部分にも注目していただきたいです。
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【ガイド研修講座第9回】幸楽窯・前半編

2021年08月26日

有田観光協会 at 12:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子を本日もレポートします。

第9回は「幸楽窯」と「アリタポーセリンラボ工場」、
今回は前半後半で分けてレポートします。

前半は丸尾地区にある幸楽窯。創業150年の窯元です。 (幸楽窯のARITAJINの記事はコチラ)



今日は徳永社長に新しく作られた「アドベンチャーマップ」に沿って工場内をご案内していただきました。
幸楽窯の工場は元は上有田にあった小学校の校舎を昭和40年に移築して作られたものです。木造の歴史ある建物ですが、屋根にはソーラーパネルを導入されていて、現代らしさも持ち合わせています。

有田ではやきものづくりは分業で、それぞれの工程を専門に担う会社もありますが、幸楽窯では型を作るところから全行程を行っています。


マップに沿って工場見学スタート。入り口に入ってすぐの所には石膏型がずっと奥まで続いていて圧巻!肥前地区の磁器は現在九割以上が石膏型で作られており、石膏型はほとんどが外注だそうですが、幸楽窯では型を作る職人、原型師さんがいらっしゃいます。


鋳込み成形の基本の技法「排泥鋳込み」。水分を吸う石膏の特性を使って、厚みを作り、余った残りの泥しょうをひっくり返して(排泥するといいます)抜いて作ります。型の1つの型で40分で1個作ることができます。
何度も型を使うたびに水分を吸う時間が増えるため、2回目は43分、3回目は60分…と職人さんがつきっきりで水分を吸わせる時間調整が必要となり、調整時間は職人のカンに頼る部分が多いとか。


「排泥鋳込み」は複数の型を組み合わせることによって複雑な型も作ることができます。
こちらの五月人形は6ピースの型を組み合わせて作られています、兜の裏面の細かい部分もしっかり型で表現されています。


こちらは圧力で鋳込みをする「圧力鋳込み」。有田の鋳込み成形といえば現在こちらがほとんどです。外型と内型を重ね、上から万力のようなものでギューっと押さえつけて、下からニュニューっと内型と外型の隙間に固めの粘土を流し込むことによって作られます。
重なった型と型は連結しているので複数同時に作ることができ、縦1列で12個ほど作れます。
あとは20分置いて水分が抜けると型から外し、内型と外型によって厚みが最初から決まっているので、こちらは職人のカンは必要ありませんが、排泥鋳込みのような複雑な形は作ることができません。



こちらはローラーマシン。名前は聞いたことがあったのですが、本物を見るのは初めて。こちらは昭和40年代のものだそうです。粘土がピアノ線でカットされ、均等な量になった粘土を中にセットすると全自動でロクロを回すように、成形される機械です。丸いものしか作れませんが30秒に1個作れるため、大量に作る事ができます。隣に観覧車のようにぐるぐる回る棚があり、ここへできあがったものを載せていっていたそうです。


この棚は天井側まで続いていてまさに工場感がします。かつて三交代でフル稼働していた時代には次々に作られたうつわが載せられていたそうです。


こちらは機械ろくろ、うつわの外形をした石膏型に粘土を入れて回転させ、コテをあてながら、ろくろを回す…というマシーン。5分で1個作れるそうですが、目盛りがないため絶妙なサイズにセットするには職人でも半日~1日ほどかかるそうです。小ロット向け製品に使われ、茶わん蒸しのうつわのような蓋物の蓋だけ作ることもあったそうです。
こうして基本の成形方法は形やロット数に合わせて技法を変えていきます。



今回は特別に型の原型を作る原型師さんのいらっしゃる「型場(かたば)」へお邪魔させていただきました。複雑な組み合わせの排泥鋳込みの型など、オーダーの内容を三図面に起こしたものを見ながら作られます。そのままを作るのではなく、より良いものを作る提案をしながらオーダーに対応されていくそうです。


入口がわに積まれている青い型は他の石膏型と何が違うかというと、これは「石膏型の型」。
幸楽窯のロングセラー商品などは、何度も何度も石膏型を使っているうちにボロボロになっていくので都度、新しく石膏型を作り直します。その原型がこの青い型。昔からのロングセラー商品もこうして原型を大切に保管されているからこそ、今でも作り続ける事が出来るそうです。石膏型は色んな窯元でも見かけますが、「石膏型の型」は初めて見ました。


ガラス張りのこちらは乾燥室。成形した生地は急激に乾燥させると亀裂が入ったり歪んだりするため、通常は自然乾燥させますが、幸楽窯では大きなガス式ヒーターの乾燥室を使って乾燥させます。大量生産をしていた頃の名残でこうした大きな乾燥室があるんだそうです。


幸楽窯の工場のガイド研修レポート、前半の今回はここまで。
マップに沿うとここまでで工場の中の約半分です!幸楽窯後半編に続きます!お楽しみに!




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【ガイド研修講座第8回】梶謙製磁社 型の美術館

2021年08月21日

有田観光協会 at 10:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子を本日もレポートします。

第7回の「黒牟田地区・しん窯」は参加できませんでしたので、工房の中を写真のみでのご紹介します。

黒牟田地区にある老舗の窯元、しん窯の工房の様子。職人さんが絵付けをされている様子と整然と並べられた石膏型。うーん行きたかったです。



今回の第8回は同じく黒牟田地区にある「梶謙製磁社 型の美術館」へ研修です。
朝からの激しい雨の中、ガイドの皆さんに集まって頂きました。


型の美術館ときいて、真っ先に思い浮かんだのが「鋳込み」で使う石膏型。石膏型がいっぱいあるのだろうか…?と勉強するまでは思っていましたが、こちらの型の美術館は「柿右衛門窯」などでも現在でもつかわれている手法、「型打ち製法」の土型・木型の美術館です。江戸時代から昭和まで使われていた多用な型をまとめてみる事ができるのはここだけ!


梶謙製磁社の梶原社長にご案内していただきました。

この日のガイド研修は関東在住でzoomで参加しているガイドさんも。一緒に解説をしてもらっています。


元は別の窯元の建物だったというこの美術館は江戸時代に建てられたものだそうです。
内部には土型や大皿用の型がずらり。これは残っていた数千点のうちの一部なんだそうです。


江戸時代に佐賀藩の管理下でやきものを作っていた有田。この黒牟田地区では指定の製品を作るように命じられていて、角形、小判型のものが製造されていました。


今でもたまに見かける鯛の形のうつわ。 明治期に人気だったというこちらのお皿は鱗のひとつひとつまで繊細に描かれています。

大きさも様々。鱗を克明に彫られた複雑な鯛や、つるんとした柔らかいシルエットがかわいい鯛など、様々な鯛の形のうつわが並んでいます。


中には細かい彫りがはいった作品も、季節の花や鳥の模様が彫られています。立体的なデザインも素敵です。
土型は江戸・明治期には赤土を使って作られていたそうですが、大正時代に入ると、泉山の陶石も混ぜて作られるようになったそうです。1尺~3尺(約90cm)くらいまでは土型で、それ以上の大きさになると重くて動かせなくなるため、木を利用して作られていました。


一番大きなものが4尺(120cmほど)の大皿の型。木と木を組み合わせて綺麗につなげてあります。


この型で作られたものがこちらになります。ダイナミックに描かれた虎と龍、繊細な周りの文様も素晴らしいですね。
真ん中あたりはどうやって描いたんでしょうか…?(梶原さん曰く、詳しくは不明、おそらく台か何かを置いて上から描いていたのでは?との事)


こちらの大きな四角いのは…?
なんと神社の鳥居の真ん中にある名前の入るあの四角い部分だそうです。焼成すると縮むので完成品はひとまわり小さくなりますが、それでもこんなに大きなものを作られていたということはかなり大きな鳥居だったという事でしょうね。


足で蹴って使う、木製の蹴ろくろ(けろくろ)も展示されていました。今では電動ですが、足で蹴りながらろくろを回す作業、大変そうです。
大きなものになると一人が成形を、もう一人が手で回すという「手ろくろ」があります。息の合った作業が求められますね。


沢山ある型の中でも淵がまるくなってしまったり欠けたりして修正されたものは長く何度も何度も使われた痕跡だそうです。この型で沢山作られたやきものは、色々な所に流通して行ったんだろうなぁと考えるとなんだか誇らしいですね。もしかしたらまだどこかで使われているかもしれません。

型だらけの美術館!という一風変わった美術館。完成した製品の見学だけでは物足りない!やきもの作りの工程についてもっと知りたい!という方にも是非ご覧になっていただきたいです。
予約していただければ見学が可能だそうです。詳細はコチラ→梶謙製磁社 型の美術館

次回の研修は幸楽窯と有田ポーセリンラボ工場の予定です!
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【ガイド研修講座第6回】香蘭社・手塚商店

2021年08月16日

有田観光協会 at 16:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子を本日もレポートします。

今回のガイド研修は「香蘭社」と「手塚商店」です。


この日は香蘭社有田本店から研修がスタートしました。

香蘭社は明治期に八代深川栄左衛門によっていち早く有田焼の新たな用途開発と輸出に乗り出し、業界を牽引してきた創業140余年の窯元です。
九州で最初に作られた合資会社でもあります。

今回ご案内してくださったのは管理本部・総務部長の森さん、総務部の中野さんです。
明治38年に建てられた有田本店は、1階がショールーム、2階が古陶磁陳列館となっており、貴重な古陶磁から現代のものまで香蘭社の歴史ある作品をご覧いただけます。

通常は写真撮影は不可だそうですが、今回研修という事で特別に許可をいただきました。


伝統工芸品から家庭用食器まで豊富な品が取り揃えられている1階のショールームでは、明治期の繊細なデザインを現代の技法で再現させたシリーズや、古陶磁などの復刻版も揃っています。奥のショールームには更に高級品のシリーズや、有田焼の万華鏡や万年筆なども展示されています。


香蘭社のマークの透かし彫りの入った木製の階段がとっても素敵です。
有田でロゴマークを最初に作った会社でもあります。


二階の古陶磁陳列館には海外向けに輸出されていた有田焼の美術品や、歴代の香蘭社製の製品が展示されています。卵殻手(エッグシェル)などの今でも使われている技法の製品や現在は使われていない釉薬を使った製品なども展示されていて、有田焼がいかに時代に合わせて進化してきたかが分かります。


二階の昭和11年に増築されたお部屋には立派な大皿が。江戸時代に内山地区で使われていたやきものを製造する際に必要な許可証の木札なども展示されています。


また、香蘭社は美術品や日用品だけではなく、電線の絶縁体の部品、「碍子(ガイシ)」を日本で初めて作った会社でもあります。その他にも現在は車の部品の型になるファインセラミックスを作られていて、ひとくくりにやきものといっても美術工芸品から工業製品まで様々なものが香蘭社では作られています。
碍子工場は一般の方の見学は不可だそうで、中野さん曰く耐久力のある高品質な碍子を提供するために、電気を流したり、加熱したりする「地獄のようなテスト」を潜り抜けたものが製品になるのだそうです。


中野さんによる木札や碍子にまつわるクイズや豆知識なども交え、楽しく解説していただきました。更にベテランのガイドさんの解説も加わり、より掘り下げたお話も聞くことができました。開発のこぼれ話など、聞き逃せない情報がいっぱいです。


また今回は特別に、普段は非公開の貴賓室にもご案内していただきました。奥には昭和天皇もお座りになられたという椅子も!
天井にはフィラデルフィア万博に出展した際に買ってきたという、水晶でできたシャンデリアのエピソードなども聞くことができました。
昭和天皇がいらした際の貴重なお写真なども飾られていてました。


香蘭社を後にして、続いて手塚商店へ。
明治43年に建てられ、大正2年に完成したという手塚商店の建物は重要伝統的建造物に指定されており、有田に残る大変立派な伝統的な町屋のひとつです。明治から昭和初期にかけて海外への陶磁器の輸出商をされていました。


店内にはかつての「電話室」が残っています。また上から降ろす形式の木製の雨戸や、くぐり戸など、今の家屋には無いものがあったり、天井が高いのは、大きな作品を運び入れたりするためだそうです。欄間には細かい結晶文様が彫られていて、伝統的な町屋の造りを見る事ができます。
現在は若手作家の作品を中心に取り扱われており、若手作家の挑戦の場としてギャラリーを運営されています。(ARITAJINの手塚商店の記事はコチラ)また、お店の横や蔵で毎週日曜日には青空市を開催され、今後は月一のポップアップイベントも実施される予定。有田の古くて新しい、が詰まったギャラリー、手塚商店。是非ご案内したいお店です。


まだまだ続くガイド研修、ベテランガイドさんの知識とお客様を飽きさせない、トーク力とユーモアも学ぶところがまだまだ沢山あります。
写真やパンフレットだけでは伝わらない、実際に見て感じてからこその有田の魅力をもっと伝えていけるようになりたいです!
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【ガイド研修講座第5回】柿右衛門窯・源右衛門窯

2021年08月04日

有田観光協会 at 12:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる
有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子をレポートします。

第5回は「柿右衛門窯」「源右衛門窯」です。
「窯元巡りコース」のモデルコースでもご案内している有田の老舗の窯元です。


最初に向かったのは「柿右衛門窯」
日本初の赤絵の技法を開発され、素地の余白を活かした明るく繊細で絵画的な構図、『柿右衛門様式』を現代に伝える由緒ある窯元です。


この日は石井支配人にご案内いただきました。
まずはギャラリーに展示されている十五代の作品や窯物作品を見ながら、伝統的な絵柄、十五代が新しく考案された草花をメインにした絵柄についての解説や、柿右衛門窯独自の濁手(にごしで)の土や釉薬などについて解説していただきました。


つづいて、隣にある柿右衛門古陶磁参考館へ。入口の取っ手も立派な柿右衛門様式。

残念ながらこちらは内部は撮影不可ということで写真はありませんが、初期伊万里の皿から、ヨーロッパから里帰りした壷や花瓶、十二代、十三代、十四代、十五代柿右衛門の代表的な作品を見ることができ、並べて展示してあるので、代ごとに独自の特徴があることを分かりやすく見ることができます。
濁手(にごしで)とよばれる柿右衛門窯当主が手がける作品の独自のやわらかい色合いの生地、余白の美しさ、伝統的な色使い、そしてその薄さ!ヨーロッパ王侯貴族を魅了した柿右衛門がいかに凄いかを知ることができました。

そのほかにも江戸期から使われている、土で作られた型に生地を叩きながら形を作る「型打ち成形」の型や手順、絵付けから焼成までの手順が分かりやすく解説されています。型打ち成形は有田でも使われているところは今ほとんどないそうですが、柿右衛門窯では今でも「丸もの」と呼ばれる壺などの成形以外は全てこの型打ち成形で作られているそうです。
伝統と技術を大切にされてこられたのがよく分かります。


母屋と柿の木が見えるお庭のさらに奥に工房があります。
今回はガイド研修ということで、なんと、秋の陶磁器まつりの時のみ解放している薪窯を見せていただきました。


まず驚くのが一番先に目に入る薪の束!この薪は島根や鳥取などの山陰地方から取り寄せた赤松だそうで、
一度の焼成に役600〜1000束の薪を使うそうです…!
薪窯の中にも初めて入らせていただきました。窯の中は思ったより中は広く感じました。なかなかできない経験ですね。

また昔ながらの土間作りで、ろくろや型打ちをされている「細工場」、絵付けをされている「赤絵座」も窓から見学。
古陶磁参考館で解説されていた「型打ち成形」の実際の作業を間近に見る事ができました。
工房内は一部機械化つつも基本的には400年前からほとんど変わらない作業光景と解説していただきましたが、本当に「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」そのものを見ているような気持ちになりました。(※「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」についてはコチラ)
窓越しではありますが、職人の作業風景を間近で見る事ができ、大変貴重な体験となりました。


柿右衛門窯の次は源右衛門窯へ。
伝統を守りつつ、古伊万里様式に独自の現代的アレンジを施した作風と洗練された文様が特徴的な窯元です。


源右衛門窯では金子社長にご案内していただきました。
まずは併設されている「源右衛門古伊万里資料館」へ。こちらは現在休館中とのことでしたが、特別に今回ご案内していただきました。
入口には平成元年に窯を修理した際に出たレンガの廃材を使って作られたトンバイ塀が。廃材の中でもいい所を選んで作られたそうで、よく見かける内山のトンバイ塀とはまた雰囲気が違って見えました。



中には、昭和40年代からこれまで参考資料として日本各地のみならず、東南アジアやヨーロッパなど世界各地から集めた作品の数々が展示されています。
一階には輸出古伊万里を中心に、二階には有田町内で出土した陶片などが年代や場所別に展示されています。


発掘された青磁の陶片ひとつひとつにも、ストーリーがあるとの事で、中国にあやかって陶器ベースのように見せるために高台の色を変えたという興味深いエピソードや、時代によってお皿のデザインの流行や技術力の違いなどが分かりやすく展示されており、有田焼の歴史がギュッと詰まった資料館でした。
ヨーロッパからの里帰り品や出土品などにガイドさんも沢山の鋭い質問を投げかけられていて、そのたびに貴重なエピソードも聞くことができ、勉強になることばかりでした。


源右衛門窯でも工房の見学をさせていただきました。こちらは一般の方は現在窓越しでしかご覧になれませんが、今回は中に直接お邪魔させていただきました。
こちらも土間作りの作業場で職人さんの作業を間近で見ることができました。
削りの作業や絵付け、釉薬かけなどをぐるりと一箇所で見ることができ、まるで「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」の中に入ったような気分を味わえました。


こちらは源右衛門窯の薪窯!こちらも秋の陶磁器まつりの時に見学することができます。
こちらも中を見学させていただきました。中に入ると薪の煙の成分によってできたという天然の釉薬のようなコーティングになっていて黒くテカテカと光っていました。

今はガス窯が主流ですが、薪窯ならではの燃料の温度の違いや煙、還元方法などのやり方によって絵の具の発色や雰囲気がガラリと変わるそうで、自然の物でしか作れない物もあるのだと実感しました。


今回は初めて生で薪窯を見学できたり、普段は見られない工房の見学など大変貴重な体験ができ、有田焼がどのように400年もの間伝統を守り、技術が受け継がれてきたのか、実感することが出来るコースでした。

住んでいるだけでは知らなかった興味深いエピソードや有田ならではのあるある話なども聞くことができ、
窯業についての専門用語もだんだん理解できるようになり、日々知識が増えていく感じがしています。

次回は香蘭社での研修の様子をレポートします!
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【ガイド研修講座第4回】「深川製磁本店」~「天狗谷窯跡」

2021年07月24日

有田観光協会 at 15:00  | 観光ガイド研修
有田を観光する際に、史跡の解説や有田に関する豆知識などをより楽しくディープに知ることができる有田観光協会の「観光まちなかガイド」。
定期的に行われている、観光ガイド研修の様子をレポートします。

第4回目の研修は「深川製磁本店」「陶祖李参平ギャラリー」「陶祖李参平の墓」「天狗谷窯跡」です。


最初に向かったのは「深川製磁本店」統括の深川泰さんに解説していただきました。
深川製磁は明治27年に創業された老舗の窯元。深川製磁本店のレトロモダンな建物は昭和9年に完成したそうです。


外側のタイルは帝国ホテルも同じものを使っているそうです。窓枠もオシャレ。
入口の店名の鮮やかなブルーのステンドグラス、本店の内部には深川製磁のロゴマークにも使われている富士山の立派なステンドグラスが飾られていました。丁度窓から覗く向かいの田代家西洋館も相まってよりオシャレに見えます。


まずは、本社のすぐ後ろにある工房へ。今回特別にお邪魔させていただきました。
建物内部は写真撮影不可という事で、普段は一般公開されておりません。
木造の工房の中へと入ると、伝統工芸室と書かれたお部屋では職人さんが絵付けをされていました。見本品の数々があちこちに並んでいましたが絵付けについての詳細なマニュアルというものはないそうで、お手本の作品を見て、職人さん自ら技術を習得されていかれるそうです。


ガス窯の並ぶ焼成工場では窯の解説や焼成方法の解説をしていただきました。
窯の中の空気の入口と出口を減らし、窯の中の酸素を減らして焼く「還元焼成」と
出入口をふさがずに窯の中の酸素が多いまま焼成する「酸化焼成」。
同じ呉須(ごす)でも焼きあがる温度や酸素の量によって色や全体的な質感が変化する事は知っていたのですが、実際の製品を並べてその一例を分かりやすく解説していただきました。
酸素が多い酸化焼成では黒っぽく、透明感はなく、酸素が少なすぎると、全体的に渋い色合いに、表面の透明感や深川ブルーと呼ばれる鮮やかな呉須の色を表現するのは絶妙な還元焼成によって作られている事を改めて学ぶことができました。
今でも年に一度、若手の職人さんに登り窯を使った焼成の体験をさせて技術の継承を行っているそうです。


本店の2階は「参考館」として、1894年の創業以来、同社が手掛けてきた数々の製品が展示されています。
普段は予約された方のみ見学することができ、皇室の晩餐会で使用されるというテーブルウェアセットや、儀式で使用される盃、太宰府天満宮のお供えに使う食器と同じものなど、大変貴重な品々が今でもオーダーが入ると当時と全く同じ物を納品しなければならず、ここでも技術の継承が重要であることがわかりました。

残念ながらこちらも撮影不可ということで、写真はありませんが、貴賓室の壁にある菊の花の形をしたタイルなど、一風変わったものも見学することができました。


次に向かったのは「陶祖 李参平窯ギャラリー」
陶祖李参平窯ギャラリーは陶祖李参平の直系の子孫、十四代金ケ江三兵衛こと、金ケ江省平さんにお話を伺いました。
陶祖李参平窯では泉山の陶石で作った陶土を使い、初代李参平の作っていた「初期伊万里」を再現するため試行錯誤されてきました。
「天草陶石ではなく、泉山陶石にこだわる理由は初代の当時の技術に近づきたい想いがあって使っています、泉山陶石は粘り気がなく、作る過程でより慎重にしないと形がそり上がったり、割れたりします。」とのこと。

砕かれて粉状になった陶石なども見せて頂きました。触るとさらさらしています。
泉山陶石を使った独自の雰囲気を持つ白磁。泉山磁石場の石はもう使われていないと思われがちですが、陶祖李参平窯のように今も使っているの窯元や職人さんがいらっしゃいます。


ギャラリーを後にして、次は陶祖李参平のお墓があるという天狗谷窯跡の方面へ。
町民墓地の中にあり、入口には案内板の陶板があります。
実は町内に3つお墓があるそうで、ここ町民墓地内にある墓碑は、別の場所で発掘されたのをこちらに移設したそうです。
発掘された当時から上部分が欠けていて、戒名が読み取れることから李参平のお墓と判明しました。
韓国の方がお参りに来られた際はウォン硬貨や、韓国のお酒やお菓子が置いてあることもあるそうです。


最後に天狗谷窯跡へ。こちらも金ケ江さんに解説していただきました。
陶祖李参平ゆかりの窯でもあり、日本で初めて磁器が本格的に焼かれた窯とされていて、有田が磁器生産を本格的に展開していくようになった初期の頃の窯です。共同の窯として利用されていたそうです。


登り窯は10年くらいで古くなり、古い窯の上に新しい窯を作っていたため、出土した磁器を見ると年代が分かります。窯の横にある建物の中には「物原(ものはら)」と呼ばれる失敗した焼物を捨てていた場所が。
出土した地層をそのまま樹脂で固めて保存されています。
土の中には失敗したやきもの以外にも登り窯のレンガや「トチン」などの窯道具なども埋まっていました。


最後に復元された唐臼小屋を見学して、今回の研修は終了です。
唐臼とは流水を利用して陶石を砕いて粉末にする装置です。当時(江戸時代)は川べりにずらりと設置されていたそうで、川の中を覗くと川の中に柱の後の穴が見えました。


今回も有田の歴史がギュッと詰まっていて、解説のポイントも勉強になりました。
お客様に熱く説明できるよう勉強していきたいです。

次回は「柿右衛門窯」「源右衛門窯」のでの研修です。
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